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『邦さんの旅日記 父娘の思い出旅(富士山) 』


平成8年・・今から10年前の夏!練馬区上石神井の自宅から 富士山頂まで、当時小学校5年生の娘と二人で歩いて行ったんです。 およそ180キロほどでしたか! 娘が小学校に入った年にその計画は出来ていました、娘も3年生 4年生になっても「5年生になったら行くんだよね!」と 分からないもんですから何気なく楽しみにしていたんです。ですから 8年の8月はお父さん1件も仕事は入れずお休みとしておりました。 幸いそんなに断ることも無く済んでしまったのが返って辛いんですが!
8月1日朝7時頃家を出発いたしました。今中学校2年でふてぶてしい 態度を取っている息子も其の時はまだ5歳ですから。映画のシェーンの ラストシーンみたいに泣きながら父姉が遠くになるまで呼んでいましたネ!
全日程お天気はとても良く暑かったです。初日は環状8号線をひたすら 鎌田まで、ここが一番長い距離だったでしょうか!何度も休み3時頃着いた ように記憶しております。そして疲れてしまっているのであまり食欲が 出ないんですネ!でも今後の事を考えるとここで食べなくっちゃいけません たしか 回転すし だったように思います。足を引きずりながら帰りには (予約してあるホテルにです)コンビニで夜食を買って部屋に戻り、娘は テレビ・・お父さんはその日着ていたTシャツ・靴下・下着の洗濯です・・ これは最終日まで毎日しなくてはならないのです、なにせ極力荷物は減らして おりますので、ですが何が幸いって修行時代〜ずっとお芝居の巡業では自分 で洗濯しますから こんな事はお茶の子さいさい!でありました。
次の日からは毎日国道1号線をひたすら歩いていきました、道としては迷う事も 無いので楽なのですが、なにせ車が多いものですから空気が悪いんです。 日陰が全くと言うほど無く、アスファルトの上をテクテクと行かなければ ならないので、とにかく朝早く出発をして次の目的地に着くようにしました。
今回は歩いて到達する事が目的でしたから体力的にも精神的にもあまり厳しい 状況には追い込まず。Tシャツ・バミューウダズボンで汚い出で立ちでは ありましたが、とりあえず食事も宿も我慢はせずに気前良く行きました。 鎌田・・横浜・・大磯・・小田原・・仙石原(2泊)・・御殿場・・富士山頂 というコースでした。

箱根の仙石原では1日遊ぼうという事にしてありまして 芦ノ湖やら大涌谷やら温泉やらで体力を蓄えたのです。そして御殿場・・?
ここでお父さん間違えに気が付きました!ホテルから富士山1合目に行くまでの 距離を12キロ少なく考えていたんです。でも兎に角その日に山頂へ行かなければ ならないので朝まだ暗い3時に出発しました。ホテルを出て1時間後位、人家が 無くなる頃、娘に道で拾った細い鉄の棒を持たせ父も持ちながらどんどん歩いて 行きます。平地なのになんで?棒を持つの?と言ってる時にです7〜8匹の 殆んど自力で生きている野良犬達でした。ですが鉄の棒ですとカラカラと大きな 音がするので犬も近くまで来られないのです。本当に恐ろしかったんですよ! 明け方が一番犬達の活発な時間という事は知っていたので助かったんです・・!
1合目に着いたのは6時ごろだったでしょう。その途中で自衛隊の方との会話が ありました。父「おはようございます!」・・自「おはようございます!偉いですね どちらまでですか?」・・父「ええ!山頂まで行こうと・・」・・自「どちらから 来たんですか?」・・父「東京から来たんですが今日は御殿場からです・・!」・・ 自「え!御殿場から来て今日山頂へ行くんですか?その子と?・・そりゃ〜大変だ」 と!あの方達が言う位キツイ道のりでした。

5合目で休み。6合目で父は千円払って 山小屋で仮眠をしました。1時間布団を借りて!が千円なんです、ところが娘は父が ドロドロになって寝ている時ツマンナイからと言って、山小屋のおじさんと一緒に 袋に砂を詰め込む作業の手伝いをしていたらしんです。そんなに体力があるので 普段、家でじっとしていない理由が良くわかりました。ですが8合目9合目となって 来た時にはさすがの娘も意識も、モウロウとして歩いてました10メートル歩くのが 本当に大変なんです!頂上に着いたのが丁度7時でした。本来その日に下山して ふもとの温泉で家内と息子の待っている所に行く予定でしたが、すでに閉めていた NTTの営業所に頼んで電話を使わせてもらい、次の日に下山することを伝え最悪の 山小屋へ行きました。ここでその悪口・非難はしませんが本当に最低な所でした。
次の日多くの客がまだ暗いうちに山小屋を出て行きます。私たちも仕度をして外に 出ました 御来光です!ですがその日は山頂のバイトの兄ちゃん達がカメラを出してくる くらいに綺麗な雲海が見られました。見渡す限り一面に広がる分厚く穏やかな雲海でした。 二人で写真を撮った後に娘が、弟と従妹にお土産のキーホルダーを買いたいと言いました のでお金を渡しお茶を飲んで待っていましたら。笑顔でそのキーホルダーを見せるんです。 そこには平成八年八月八日と刻まれていたんです。生涯忘れることの無い一日だと思います。 そして下山をして息子達が待っている温泉へ行きました。ゆっくり旅の疲れを癒すはずでしたが それまで1人でつまんない思いをしていた息子と命がけで遊びました。 そしてその7年後に息子の旅が行われました。

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