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酉年…
邦寿5回の年男


第1回目の歳男ということになるのでしょうか?7ヶ月間チョッとの歳男でした、無論何も覚えておりません。 1957年(昭和32年)酉年でした。

1969年(昭和44年)
第2回目の歳男は 殆どの方がそうでしょうが小学校6年生、新宿区落合で皆に 隊長というあだ名で元気に 遊びまわっていた時代です。 木の上・車の上・塀の上・屋根の上・線路の上など等そりゃ〜毎日走り回って おりました。わが人生の中で一番気楽な歳男だったでしょうな〜。

1981年(昭和56年)
第3回目の歳男は 三味線を始めて5年目位で始めて お芝居いの歌舞伎教室で大薩摩(立奏)の大役を いただき全国を回った一年でした。唄の先輩方がスケジュールの関係で日によって違うため色々のパターン が生まれてしまいます。「俺はこ〜だから!」 「ここはこ〜してね!」 「それじゃ〜唄えないよ!」他 毎夜のように飲みながらですけど、ダメだしを頂く。だから次の日は早くに劇場、ホールに入り 舞台上で本息の練習をしてもらう。  本州はもとより四国・九州・北海道も回りましたね・・ですからその旅で練習を含めますと百数十回は大薩摩を弾いたと思います。 今の邦寿が持っている三味線観と言うものを考えてみますと その3割位はこの年に育てられたんだと思います。

酒もそうですね!ある兄さん(先輩の事ですが)二人で飲み屋に行きまして、その兄さんはベロベロになるまで飲みます。   ですが宿への帰り道に酒屋さんでウィスキーを一本買ってしまうんです。(もう意識が無いのに・・・!)  それをホテルの部屋で二人してイカをつまみに飲み始めます、夜中の3〜4時頃にやっと飲みきって・・・・ 「おやすみなさい・・!」っとなるんですが。  飲み終わらないとお開きにはなれない、お酒は好きですがしんどかったですね。 約50日の旅巡業が終了後、東京の自宅に帰って来ましてから数ヶ月間というものコップ一杯のビールを飲むだけで全身に 蕁麻疹が出てきてしまうんです。(イヤ、本当の話です) 私も今と違いますから本当に素直な態度で「ハイ!ハイ!ハイ!」と 言われることを聞いておりましたから。ストレスなんて〜物が溜まっていたんでしょうな〜。 それと どの唄の先輩も楽屋では怖い口調で話をしていたな〜と覚えているんですが。でもけして僕に腹を立てていたんじゃないんですね。  それはどんなに二日酔いでも、またどんなに天気が悪かったとしても、必ず開演2時間前には楽屋に入ってきてくださって 後輩の練習の為に本息で付き合って下さったんですから。本当にビリビリしながらの巡業でしたが、邦寿にとっては 心身共に成長した忘れられない旅公演でした。

1993(平成5年)
4回目の酉年は伝の会も始まって4年目ですか、当然結婚もしてしまって?下の子が2歳になる頃ですね。 邦寿がどの流派にも所属をせず1人で育って行かなければならなくなって約3年が過ぎた頃です。 本当に運が良く、あるきっかけで劇団前進座さんの歌舞伎公演での演奏をさせていただき始めた頃です。 この事がもし無かったとしたら、今現在・邦寿も・伝の会も無かったことと思います。 そしてまだ子供が小さかった事が幸いでしたが。 流派に所属していないと言うことはその流れ、同門の先輩・師匠・方から仕事のお誘いなどはありませんし ましてや、他流派からなどあるわけも無く お弟子も2〜3人でしたでしょうか! そんな中で現在の杵屋佐吉さんには本当に親切にしていただき現在でも家族で感謝しております。 邦寿は長唄を弾く機会がほとんど無いんです。僕たちは稽古も大切ですが やはり色々な曲を舞台で弾かなければ覚えていかないんですね。 曲を知らない!経験が不足してる!は致命的と言っていいことなんです、僻みではないのですが 50年ほど前では、月に25日は本番だったなんて話も聞きます。人様の前で弾くということが一番の 力となるわけなんですね。 その事よりも、まだまだ若手の邦寿として何よりの不安というのは教えてもらえないと言う事でした。 自分のやっている事で本当にいいのだろうか?という不安がいつも稽古中や本番前に襲うのです・・ ですから長唄界の先輩達の演奏を見て聞いて手本にするしかありません。でも演奏会はお金取られるし 日本舞踊のお浚い会などに通いました。日本舞踊は大勢の人が出入りするので、まぎれて見るのには楽でした。 ただ日本舞踊だと全曲はやらないんです。色々抜いたり時には他の曲をくっつけたりしてますから。あれあれ と戸惑う事も多かったですね。 そんな中で前進座の歌舞伎巡業は、責任重大の役割なのですが 大方は黒御簾での演奏が多く沢山のきっかけ (音の始まりや終わりの約束)が有るために 稽古の時やら旅先でも時々役者さんからの注文やら駄目だしやらを頂きます。 ですがそんな会話、工夫、挑戦をしながら舞台を進めていくことは本当に充実した楽しい時間なのです。 この世界で生き抜いて行けるはずの無い立場になった三味線弾き男君が人の優しさと、期待と言うものに包まれて過ごしていた一年でしたね。 『その時にはまだその有難さを感じられない36歳でした』 今・・本当に感じています。

2005(平成17年)
さぁ〜5度目の酉年です。現在です!後何回迎えられるかな?等と少し弱気ですかね 鉄九郎が45歳ですオッサンデスがよく頑張って伝の会を広めようとしてくれてます。古典空間は社長を 始めスタッフが色々とやってくれますし、何よりもありがたいのは伝の会に好感を持ってくれた方達が 大変な協力をしてくださっているんです。そんな皆さんの頑張りのお蔭で今着実に公演回数は増えていて、 そりゃあ先が楽しみなのですが ただ公共ホール的にはなかなか長唄ライブでは集客ができない・・現実! 難しい問題を抱えている年となりそうです。 7月には母が他界しました。88歳でした多くの方に励まされました。 母には中学2年頃〜4年弱凄い心配と、迷惑をかけましたが。その後の20年は好きな三味線の音をいつも近くで 聞かせてあげられたのと、邦寿39歳のときには前進座国立公演で勧進帳の立て三味線をさせて頂き、 歌舞伎も前進座も大好きな母には何度も観に来て、嬉しい時を送ることができたなと思っております。 伝の会も旗揚げ公演から時々見に来ていたので 約8年寝ていましたが、ベットからの会話でも話題は十分に ありました。 今年は大きな台風がアメリカでも日本でもまた地震などで多くの方が被災され、亡くなった方も大変な数です その上邦寿の恩師やら知人でもお亡くなりになった方が本当に多く、稽古をしていても色んな事を思い出したり、 考えてしまったり なかなか集中することが出来ない日が何日もありました。 5度目の歳男はあまりにも暗い日が多いいので、心してこの後に頑張りと期待を掛けていこうと思っております。
        続きは年末に書こうかな??

杵屋邦寿

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