邦さんの旅日記
第3号
ヨーロッパ公演編(完結編)
by杵屋邦寿
今回は、モントモールでの生活の幾つかをお話ししましょう。
(1)キャンピングカーで生活
キャンピングカーで生活をして居たという事は、前回お話ししましたが、二日目のことです。斜めの道に駐車して居るものですから、必然的に車内も斜めでありまして。とても生活がしにくいわけで、邦寿は考えました。タイヤの下に石をかませれば平らになるそして、運転席をみましたら、ちゃんとキーが刺さって居るでは有りませんか。しめしめ、お城の壁から良さそうな石をもらってきて、タイヤの下に敷き運転席に乗り込む、外車ですよ、外車。少々緊張しながら、バックに入れてゆっくりスタートです。『よっこいしょっと』うまく行きました。続いて後ろの車も直してあげました。小さな流しの水もやっとうまく排水されるようになりましたし。テーブルのコップも滑らなくなりました。『よかったよかった』でも、まだちょっと斜めなのです。完璧を絶えず求める邦寿としては、次の日、再度挑戦です。いったん石から車を降ろしてもうすこし大きい石をいれる。準備はOK運転席に乗り込みエンジンをかけたその時です。『がったん==グシャ・・』バックで石のうえに乗り上げさせた車がバックで石から降りてしまって後ろの車に・・・ポルトガルのモントモールの丘の上、とても寒いところでしたが、メチャクチャ大汗をかいてさっさと仕事を済ませ。破片は土に埋めて何事もなかった様に振る舞う邦寿。本来あちらの車は車検が無いのか、ボコボコ、ガタガタ、な車が多いいようで、ところがレンタカーだったのですが。たまたまその車はとても奇麗で本当に心をいためる邦寿。ですからその後は、今まで以上に愛想がよくいつもニコニコでよく働くいい人になっておりましたねエ。
『ただしこれは、内緒の話なのです。』 ごめんなさい==
(2)『世界の音楽』となづけられた三人の人。
『世界の音楽』となづけられた三人の人。『ヤン』デンマーク人・ギター弾き。 『ブトウ』インド人・シタール弾き。 『クニ』ジャパニーズ・三味線弾き。の話。ヤンがある日、クニとブトウを呼んで『今度 学者さん方や学生さん方が集まった所でコンサートがあるんだが。この三人で一曲演奏をしたい』というようなことを言ったと思う。この頃になると、言葉なんぞ解らなくても解るようになってきていた。クニ『どんな曲をやるんだい』 ヤン『コンナ曲ダ』 クニ『なんだよ、きまってんのかよ』そんな中、ブトウは何も言わずただシタールを弾いている。ヤンが弾き始めたのは単純なメロディーでしたが、ポップスでした。そしてそれからが長かったですねエ。5〜6日間毎朝、他の稽古が始まる前の時間 約1時間半練習なのです。『この音のときにはこの音ね』ちょっとづつ、ちょっとづつ進んで行きました。そしてようやくコンサート当日、まずクニの瀧流しの合方で始まり。ヤンの、ギターソロ。そしてブトウのシタールソロ。その上再びクニ大薩摩でバリバリ三味線を弾き鳴らす。ぴったっと止まり、三人の静かな内から段々と軽快なポップスが始まった。お客さんはアレ??何が始まったのかと一瞬シーンとなったのですが。その後すぐに笑いと拍手の嵐でした。なにせ若い女性が二〜三人踊りだすぐらい盛り上がりましたから。そして、ブラジルのボンゴ、バリのケチャ。バイオリン、フルート、ドラム、と楽器が入って全員で合奏のあと、クニの一人早弾きからニューと消えて行く。というエンディングでした。演奏終了後、場内はわれんばかりの拍手で他のミュージシャン達からも、握手握手ですごかったんですよ。まアとにかく 『世界人類学会』の数カ国の学者さんや、学生さん方およそ200〜300人には三味線という楽器の可能性とパワーを思いっきり知らせる事ができたようです。そしてその中で一番偉いバルバという演出家が来て。『次のイースター(この地獄の勉強会のこと)に今度もまた来てください』とかなんとか、言ったらしい。イヤ本当。
(3)身体の嘆き
デンマークもポルトガルも九月になると涼しいというより、少々寒い感じがする所でした。それなのに、邦寿が持って行った服装と言えば、長袖が一枚と長ズボンが一枚であとは Tシャツ、半袖3〜4枚、バミューダズボン2〜3枚。皆から『寒くないですか』とよく聞かれました。あちらは夜九時〜十時頃から催し物が始まるので十二時頃終演、少し飲んで軽く食べて、お風呂に入ってから、ベットに入るのが三時頃。で翌朝八時には朝食です。そして部屋は毎日二人部屋だったので、ゆっくり休むこともなかなか出来ず 食べ物は香辛料が強かったり、しょっぱかったりが多く、野菜が主だったのでエネルギーが不足していました。でもって毎晩すきっ腹に冷たいビールなんかを飲むもんだから。お腹のほうはたまったもんじゃありません。申し訳ありませんがはっきり言って『スタコラピー』です一日のうちに何回もトイレに・・もともと私は回数の多いい方で過糞症(かふんしょう)と言われていたぐらいですから忙しいのなんのって。あっちいってピーこっちいってピーでした。その上あちらの紙の質の悪いこと、もう悲劇です。九月の半ば頃にはもう切れてしまって、一人個室で涙、涙の毎日でした。ですからどんなに食べても太る事は無く結局日本に着いたときには5キロ減っていました。でも、リスボンでは国立劇場のような所にて公演が出来たし。万国博覧会にも行けたし。テレビでみたポルトガルの札幌ラーメン屋にも行けたし。外国人の友達はできたし。たくさん三味線は弾けたし。なんといっても痩せられたし。本当にいい旅でした。でも此れというのは、十何年という間そのイースターに参加をして実績と信頼を作り上げてきた、ジャパニーズグループの座頭である舞踊家の『花柳 翫一(はなやぎ かんいち)さん』本当に毎日。湿布薬を貼りながら・・ぐだぐだになって、日本古来の舞踊の動きを丁寧に丁寧に外国の方たちに教えている姿。そして『テアトル・ムンディ−』という芝居の主役で、女形として舞台を引っ張っていっている姿は、自然と僕を頑張らさせたわけですし。そしてここ数年何度かイースターに参加をしてすっかり家族の一員のようで、外国人皆に愛されていた同じく舞踊家の『七々扇 左恵(ななおおぎ さえ)さん』この左恵さんが僕を翫一さんに紹介してくれなければ。こんな被害に・・・イヤイヤこんなに素敵な一カ月を送ることが出来なかったわけで。本当にお二人には感謝をしています。とにかく37日かんの旅は無事終わった訳でありまして、来年2000年に今度はドイツか何処かであるらしいんです。今度は鉄九郎と一緒に行くかもしれません。向こうで邦寿が弾いたもの。地唄『八島』長唄『都風流』日本舞踊『蜘蛛の拍子舞』同じく『お七吉三』すべて全曲ですし、時々『合方集』も弾き、お芝居では胡弓も弾いたし。三味線もいっぱい弾きました。約二時間座ったまんまでした。 そしてこれが全部一人です。日本では考えられませんが、でもあちらの人はこれしか観ていないので、こういうもんだと思ってくれるのでしょう。とっても素直に感動してくれました。不思議ですね==いいですね==
ここに来るまで大分時間がかかってしまいましたが。これで邦寿のポルトガル日記は終了いたします。長々ありがとうございました。また、どこかへ行った時に面白いことなどありましたら、お知らせしたいとおもいます。
それでは・・・ 邦寿